ヴェルサイユ宮殿


 いよいよ悪名高き?ヴェルサイユ宮殿である。贅の限りを尽くした宮殿。実はリドのディナーショーもこのヴェルサイユ宮殿もマイバス社という、JTBがパリに置いている現地ツアーの専門会社のお世話になっている。インターネットのサイトと、JCBでも扱っていたので両方を比べたのだが、直接マイバス社に予約するよりもJCBを通した方が割引があって安かったのでJCBから予約してもらった。


 これがマイバス社。中はあまり広くない。たいていのツアーはここが集合場所になる。ルーブル美術館とオペラ座の中間よりちょっとルーブルよりにある。


 パリ市内から車で約40分の郊外にあるという。途中で「ここがダイアナさんが亡くなったトンネルです。13番目の柱ですね。」と解説が入る。あまりそういった記事に興味の無かった僕はてっきりイギリス国内での事故だと思っていた。いいかげんなものである。
 午前中の疲れも有って、バスの中で少しうとうとしているうちにヴェルサイユの駐車場についた。バスから降りて中庭へと向かう。







 とにかく広い。左右の幅が600m以上あるらしい。正面ちょっと左の一番奥に見えるのが寝室との事。


 正直言うと、ツアーではなく自分で来たかったのであるが、鏡の間等、ヴェルサイユ宮殿の宮殿たる所はツアーでないと入れないのだ。理由は多分、ルーブルで僕が感じた事に近いだろう。フラッシュ厳禁なのである。ツアーコンダクターがバスの中で説明していたが、美術館にしろ宮殿にしろ、美術品がある所はどこもフラッシュは禁止なのだが、どこまでそれを徹底しているかは場所によって違うとの話である。そう、ここヴェルサイユではツアーコンダクターに見学者がフラッシュをたかないように管理させているのである。にもかかわらず、やっぱりフラッシュを使う人がいて、日本語や英語で「フラッシュはだめですよ!」と何度か注意が飛んでいた。
 建物の入り口に集合してしばし待つ。全員(29名だった)そろった所で中に入った。階段を上って2階へ。そこでチケットを渡して中に入る。



 中は薄暗く、普通のカメラでは撮りにくい(撮ったけどね。仕上がりは???)。暗いところに強い、デジカメの独壇場である。その中から何枚か選んでみた。

















豪華絢爛の天井画と有名な鏡の回廊





 幾分色あせてるとはいえ、定期的に修復もしており、当時の豪華さを思わせるには充分である。石油のメジャーの寄付や、アメリカの金持ちの寄付等で当時の様子を出来るだけ再現してきたものという事だ。当時、その豪華さゆえに市民を苦しめ、挙句に革命の時にいろんなものが壊されたらしい。しかし、当時の芸術性をいろんな人が認め、修復に努めたのだ。しかし、この宮殿を造るために少しでも安くしようと、時の大臣は苦労したのだそうだ。その苦労話は・・・まあ、現地に行って聞いてください。(^^)
 宮殿の豪華さは中だけではなく、庭の広さにも現れている。「当時より狭くなってしまいましたが・・・」といいながら、現在でも皇居の5倍の敷地を持っているらしい。鏡の間から見えるまっすぐに伸びる運河は1600mとのこと。今回のツアーではそこまで行く暇が無いとか。
 しかし、マリーアントワネットの事をひたすら悪く言う人がいるが、僕はそうは思えない。当時14歳で政略結婚させられ、オーストリアから単身、この城にきたのである。今、日本では17歳がキーワードになっているが、17歳の子ども達でもちょっとした力を持つと見境が付かないのだ。14歳の少女が、政略結婚で一人、身寄りの無い所に嫁がされ、王女としていきなり大きな権力を手に入れ、大切な仕事は政略結婚をする子どもを一人でもたくさん生む事だったという。まともな判断をしろという方が無理である。
 ルイ王朝は民衆に多大な被害をもたらしたと共に、後世の人間が大金をはたいて修復をするような見事な城を残した。良きにつけ悪しきにつけ、現在のフランスに大きな影響を与えている事は間違いない。


 さて、この後なのだが・・・・・・。ツアーコンダクターの人が、近くにブランド専門の店が新しく出来たので、そこに案内してくれるという。お水も用意してあるしトイレもある。フェラガモ、、ルイビトン等を扱っており、バスを留めることが出来ないので、みんなを下ろして10分くらいでひとまわりして来るので、その間にここで買い物をしようという人は残って買い物をすれば、店の人がパリ市内まで送ってくれるとの事。日本にいると、この水とトイレがあるというのがどういう事かよく分からないかも知れないが、わずか2日でこれがどれほどありがたい事かは身にしみている。みんなはそそくさと降りていった。僕も一応は降りて店の中に入ったものの、すぐに出てきてしまった。幸い、カメラは持っていたので街並みを何枚か撮りながらバスを待った。
 僕が「嫌な思い」といったのはこれの事である。こんな事に時間を取るのならもう少しゆっくりしていたかった。ツアーで無いと入る事が出来ないから参加したのであって、ブランド物には何の興味も無い。当然、ツアーコンダクターにお客が買った金額の何パーセントかがバックマージンで返るはずである。否応無しに参加したツアーで否応無しにブランド物の店に連れてこられる。日本人じゃなければ怒り出すと思うのだが。
 結局、パリに来る日本人をこんな目で見ているのは、やっぱり日本人なのだ。パリから見た日本人は単なる札束でしかないのである。


 ホテルに帰る。実はすでにパリには飽き飽きしていて、どこを見に行く気も失せていた。パンばかりも飽きていたので、ラーメンを食べに行く。その帰りに近くで見つけた小さな地元の商店、日本でいえばコンビニに近いものだが、そこで水とジュース、トマトとバナナを買った。とにかく野菜が食べたかったのだ。リドのディナーショーで食べた料理は確かにおいしかった。でも、それ以外のものはおいしいとは思わなかった。ガイドブックに「街中でおいしいサンドイッチを買って・・・」と書いてあるが、この記者はどんな物を食べて言っているのであろうか。マクドナルドもあったが、そっちの方がよっぽど満足できた。
 次の日はいよいよ6時間の国境越えの列車の旅、ドイツのシュトゥットガルトに向かう。荷造りを済ませ、パリで最後の眠りについた。



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