カレンの村


 れいによって、今日の話をする前に昨晩の話を(これの意味が解る人は、オーストラリアの旅行記を読まれた方ですね)。
 寝袋の中に毛布を入れているとはいえ、寝相の悪い僕は、毛布を寝袋の下に追いやり、寒くて目が覚め、また毛布を着るといった事を何度か繰り返し、朝を迎えた。上半身よりも、足下が冷える。
 靴下を重ね履きして、せめて安全ピンがいくつかあれば暖かく寝れたのにと思ったが、時既に遅し。
 しかし、ここ数ヶ月、浅い眠りが続き、長い夜(うとうとしているだけの為、時間の経過をずっと意識しているような状態。いくらかは寝ていると思うのだが、寝不足が続いていた。)を過ごしていたが、久しぶりの山歩きで、やはり疲れていたのだろう、寒さで目が覚める時間の間は、ぐっすりと眠っていたようで、朝の目覚めはスカッとはいかないものの、ここ数ヶ月の中では一番良かった。


 起床して、ざっと寝床を片づけて外に出てみると、ルーマニアから来たBさんが毛布を体に巻いてたき火の横に座っていた。Fさんが話を聞いたところによると、夜露が顔にかかって眠られず、夜中に毛布を持って出てきてずっとここにいるという。少々疲れた顔をして座っていた。
 やがて、みんながぼちぼちと起き出して、ガイドさんは朝食の準備を始めた。




 ガイドさんは2人いて、一人は50歳の人、もう一人は写真の若い男の子である。
 トレッキングの間、50歳のガイドさんが先頭を勤め、この若いガイドさんがしんがりを勤めていた。ずっと遅れてしまったルーマニアのBさんををずっとサポートしていた。









 朝食を済ませると、滞在したこの村を一回りする事になった。50人くらいかなと思っていた村だが、ガイドさんの話では100人以上いるという。見える範囲だけではなく、もっと奥まで家があるので、見せるとの事。
 とりあえず隣の家から回る事になった。







 高床式の住居。穀物を保管するようの小屋も同じように高床式になっている。薪を置いたりしている小屋だけは高床になっていない。
 ちなみに何軒かの床下にはバイクが置いてあった。車は入らないが、バイクが交通手段になっているようだ。











 赤ん坊をだっこするお母さん。この村に住む部族は、独身の女性は白の上着を着て、結婚すると別の色を着るのだとか。みんなが民族衣装を着ている訳ではなく、トレーナーを着ていたり、ジャージを着ていたりいろいろだが、それでも年頃の娘さんの上着は白が多かった。
 ちなみに、死別や離婚などで独身に戻ったら、やっぱり白の服を着るそうである。












 これはちょっと驚いた。関係者でないとわからないと思うが、紺のズボンの右隣、カブスカウトのネッカチーフである。その隣は同じくカブスカウトのキャップ。正直言って、こんな所でボーイスカウトの活動をしているとは思えないのだが・・・・。














 米をつく。左手前で座っている子は、米をかき混ぜる役である。
 20分ほどついてはふるいにかけて、また20分ついてはふるいにかけて・・・僕の聞き間違いで無ければ、僕達が昨晩食べたタイカレーのライス分をつくのに2時間かかったのだとか。












 新しい家が建てられていた。手前にあるのは太陽光パネル。すでに室内にはラジカセが置かれていた。












 いよいよ村ともお別れ。お世話になった家の若奥さんと写真を撮って貰う。この奥さん、英語がバリバリだった。
 背中に背負っている赤ちゃんと、前出の子どものお母さんである。








 一回り村中を回り終えると、夕べ飲んだビールや水の精算をして身支度を整える。
 お世話になった家の人達が見送ってくれる中、「コップンカップ!」と手を振って村を後にした。








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