リヨン駅からアヴィニヨンへ

 今日も5時過ぎには目が覚めてしまいました。旅行記の続きを書きながら今日の段取りの相談をしていると7時になってしまいました。父の部屋に行くと、4時過ぎから起きて荷物の整理をしていたとのこと。朝食は急がなくて良いと言ってくれたので先にシャワーをすることが出来ました。そして、3回目の朝食です。私は昨夜の夜遊びの時からお腹がすいていて「ラーメンが食べたいわ」と連れ合いをあきれさせていましたが、パンやハムの朝食はそんなに進まず・・父と連れ合いは相変わらずの食欲です。特に父はパンが大好きなので、まだ食べるのというほど食べています。私は麺類が食べた−ぁい(>_<)

 9時に出発しようという約束で部屋に戻ってスーツケースに荷物を詰めました。昨日のモンサンミッシェルで買い込んだお菓子類をなんとか詰め込んでロビーへ。タクシーはすぐに来ました。東洋人の運転手さんが荷物を詰め込んでくれて、リヨン駅へ向かいました。この時後部座席に座った父と私もシートベルトをしないとピーピーと警告の音がやみません。指先が思うように動かない父がなかなかシートベルトを付けることが出来ないのについ、「まだ出来ないの!」ときつく言ってしまって反省です。なかなか本当に出来ない人の立場に立って一緒に過ごすことは難しいことですね。

 リヨン駅は思っていた以上に大きな駅でホールという、いくつかプラットホームが並んだスペースが3つありました。1時間早く着いていたのと寒いのとで時間が潰せず、喫茶店に入りました。ここで、コーヒーを頼むのに、なかなか言葉が通じずに困りました。ここでは「コフィ」と言うとエスプレッソの事のようで、普通のコーヒーはなんと言えばよいのかとうとう分かりませんでした。



 2行目にあるTGV6109に乗る。「15」の数字が出ていて、これがプラットフォームだが、この表示が出る前は、その下にある「Hall」の番号しか出ていない。このホールが1から3まである。結構、きれいな駅だった。




 連れ合いは切符に打刻機でパンチが出来ないことを気にしていました。私は乗り込んだら何とかなると思っていました。15というプラットホームのナンバーを確認して、いざTGVニ乗り込みます。さぁ、バリとアヴィニヨン間が日本円で1人2万4000円位かかるこの移動はどんなものになるのでしょうか


 私は小心者なので、ルール外の事はなかなか出来ないタイプである。「車掌さんが検札に来た時に言えばいいやん。」と言うが、日本の場合、改札が有る為、基本的にただ乗りが出来ない。なので、車掌さんに言う時は「精算」である。ただで乗ろうとした事に対する罰則では無い。しかし、改札が無い所ではただ乗りが出来てしまうので、ただで乗ろうとしたのか、ミスなのかは車掌さんにはわからない。なので、車掌さんが検札に来た時では、「ばれた」と判断され、罰金刑になる可能性がある。負わないでいいリスクは負いたくないので、TGVに乗ると、すぐに車掌さんを探してチケットを見せ、ボディーランゲージを交えながら説明する。車掌さんはチケットを一通り見ると、「このチケットは確認したので、大丈夫。検札に行った時に、さっき見せたチケットだと言って。」みたいな事を言ったので、一安心。で、結果はというと・・・結局、検札は来なかった・・・。
 チケットの代金は3人分で474ユーロ。一人158ユーロである。1ユーロ150円計算で上記になるが、100円計算なら15800円。距離が700kmある事を考えれば、新幹線とトントンだと思う。


 私達の席は2階の一等で、向かい合わせの席ですが、1人相席になるだろうと言うことでした。3号車の入り口には、他のお客さんと駅員さんが何か話していて乗り込むのを塞がれているような感じでした。それをかき分けるようにスーツケースを乗り込ませるとすぐに2階に昇る階段とトイレ前の狭いスペースになっていました。連れ合いが先に荷物を置いて2階に上がり様子を見に行きました。駅員さんが荷物を上げるのを手伝ってくれるものと思っていたのにそういうこともなく、3人でエッチラオッチラ荷物を上げました。客席の通路は狭くスーツケースを転がすのは容易ではありません。片側は一列、反対に二列の席があり全部初めから向かい合わせになっていました。新幹線よりはずっとスマートなスペースです。私達の席の一つにはすでに素敵な女性が座っていてその足下には黒いとても綺麗な犬が伏していました。へぇぇぇぇ、と思いました。




 一列の席の側の中程にある荷物置き場にスーツケースを納めて、座りました。シート自体は新幹線よりも遙かにゆったりとした豪華なものですが、車内はずっと狭いのには驚きました。そして、何の合図もなく滑るように発車しました。時速約300キロで走るこの電車は、音も静かで殆ど揺れることなく快適です。席の間にはテーブルがあり、私はパソコンを置いてこの旅行記を書いています。また、リヨン駅で手に入れたサーモンのお寿司のパックを開けてそれをつまみながら・・(^^)麺が食べたかったけど、お寿司を見ると買わずにはおれませんでした。そして、電車が発車するやいなやお腹がすいて食べたくて・・パクパク。しゃりがべちゃっとしていて、けっして美味しい物ではなかったのですが、ご飯を食べると元気が出ます。父と連れ合いにも分けて、・・・満足です。

この後、昨日の一日を書き上げたにもかかわらず、システムを理解していなかったせいで、車内で書いた文章は消えてしまい、あーあぁぁぁぁ(>_<)まあ、こんなこともありますよね。無くなった部分はまた書きますね。(修復済みです(^^;))

 TGVの乗り心地は、想像していたよりはるかに快適であった。新幹線の700系より乗り心地がいいかも知れない。2階建て車両の2階席であった事を考えると、新幹線よりも快適であろう。壁にはコンセントがあったので、わかっていればパソコンのコンセントを手荷物に入れておいたのだが・・・と思いつつ、連れ合いが分けてくれた寿司をパクついた。
 荷物入れは車両の中程と入り口の反対側にあるが、それ程大きくは無いので、トランクを持った旅行客が増えると入りきらないだろうなと思った。ちなみに、頭の上にも棚があるが、弁当の折3つ重ねたらギリギリくらいの狭い棚なので、荷物は乗らないと思っていた方がいい。




父は、ずっと座っていると膝が痛くなるようでした。階段の上り下りもだめ、じっと座っているのも駄目となると、海外の旅行は苦しいですよね。

車窓は雪景色です。フランス中央部の山を越えていくのですものね。小さな家が連なり田舎の景色が続いています。空はグレーで、国の面積の殆どがフランスも日本も田舎なんだなぁと改めて思いました。

この列車は終点がマルセイユなので、どれくらいアヴィニヨンで停車時間があるのかわからず、早めにスーツケースを下ろしてと連れ合いに頼みました。アヴィニヨンTGV駅で無事に下車して、私はアヴィニヨン中央駅の乗り継ぎを探しました。程なくBのプラットホームで乗り継ぎをして5分程で到着でした。後で確認をすると、TGVを降りた後、切符を買い直してセントラル駅へということでしたが、まったくそのまま乗り込んで駅の改札を出ていました。東京から新幹線の切符を買うと新大阪で降りてJR吹田までは0Kという感覚でそのまま乗ってしまって別にとがめられなかったと言うことなんですが・・。


 アヴィニヨンは古びた田舎町でした。石畳をゴロゴロとスーツケースを転がし、ホテルを探しました。こんなホテル大丈夫という頼りない感じでしたが、内装はなかなか素敵で、ベットも心地よさそうでしたしバスルームも小綺麗で使い良さそうでした。ただ、リフトで4階に上がるとそこからまだ何段かの階段を上がって部屋につきました。父のシングルルームも階段を何段か下っての部屋です。まったくヨーロッパのホテルは階段がいっぱいでスーツケースと行動を共にする我々には苦難の道です。同じ階にお部屋をとってあると言われていてもなおかつ階段が存在するのは、日本人の感覚には無いですよね。

 このホテルにはミニ冷蔵庫があり、スリッパも付いていました。私はベットで一休みをし、連れ合いは遣った費用をエクセルに入力をしました。なかなか今回の出費は馬鹿にならない額です。




 今回はソフトバンクの「海外パケット定額」の設定をしていたので、スマホでグーグルマップを立ち上げる。前もってマイプレイスにホテルを登録しておいたので、アヴィニヨンのホテルを選んでナビを開始する。楽々とホテルにたどり着・・・かなかった・・・。途中までは順調だったのだが、あと5分くらいになった頃からGPSの誤差範囲が広がり、後2分くらいになると、ホテルの有る地点を含めて誤差範囲に入ってしまった。まあ、後は地図と周りの地形を見比べながら、程なくホテルに着く事が出来たが。


そして、観光に出かけました。このホテルは内線も通じて、父に電話をすると外出オーケーとのこと。法王庁宮殿と橋を見に行きます。ガイドブックによると、1309年に教皇庁がこの地に移転し一時は「第二のローマ」と呼ばれるほど繁栄した街で中世の面影を残し世界遺産に登録されている街なんですよ。そんな凄い王宮がここにあるのか・・そしてアヴィニヨン橋の歌で有名なサン・ペネゼ橋はどんなものか・・期待というよりか大丈夫??
小さな街なのでさほど苦労もせずに路地を通って王宮に・・そこにはあっと驚く光景が待っていました。



 壮大な建造物がそこにありました。ガイドブックによると、法王庁宮殿と呼ばれる建造物で14世紀に7人の教王が住んだ所だそうです。街は城壁の中にあり、けっして広いとはいえないエリアですが、荘厳で素晴らしい物と思われました。サン・ペネゼ橋と共通チケットが13・5ユーロ、日本語ガイドに2ユーロを支払い、中を散策しました。
丁寧な解説を半分ほど聞きながら巡っていくと、まるで時を忘れてしまいそうです。モンサンミッシェルでも感じましたが、中世という時代はなんて苦悶に満ちた人生を生きる人々の時代だったことでしょう。だからこそキリスト教の布教が広がって行くのでしょうね。現世ではなくて天国へ行く為にしか生き甲斐がなかった時代には、戻りたくはありませんね。




 王宮を後にして迷いながらサン・ペネゼ橋へ向かいました。橋は大好きなので、楽しみにしているとやはり壮大な景色が現れました。ローヌ川を渡すこの橋は石造りで両側に言い訳ほどの鉄柵がありましたが、その上は強風が吹き荒れて、はっきり身の危険を感じました。父と手をつないで最強の注意を払いながら橋の中程まで進みましたが、端までは行かずにあきらめました。しかしその景色の素晴らしかったこと(^_^)v
しかし、橋に端があるってわかりますか?川の真ん中でサン・ペネゼ橋はぶっちぎれているんですよ。昔はちゃんと川の向こうまでつながっていたと言うことですが、現在は四つのアーチが残るのみになっています。橋を渡る手前には、子どもを両側から手をつなぐ大人二人の絵の看板があって子どもの手を離すなと言う警告でした。大人でも吹き飛ばされるのではと私は父の手を離しませんでしたが、二人とも川に落ちるのではと言う恐怖を感じました。橋の美しさに感動したのは降りて川岸から眺めた時です。どこまでも青い空の下にたゆまぬ流れのローヌ川にかかる途中でぶっちぎれている石造りの4つのアーチ!
アヴィニヨンに来て良かった・・!!!!! 心の洗濯をさせて貰った気分です。





 一休みして、18時に夕飯を取りにまた外に出ました。今回父はネクタイをして正装です。「ネクタイは別に持ってこなくていいよ。そんな凄いレストランには入いらへんで!」と言ってあったはずですが、それでは気が済まない父です。(だから荷物が多くなる・・(>_<))
ホテルの外がすぐにメインの広場になっていて、おきまりのクリスマスマーケットが展開されています。回転木馬とかね。シャンゼリゼ通りで見た出店とまったく同じコンテナが数は少ないですが立ち並び、上にはイルミネーションが光ります。一つのレストランに目を付けて三人でディナーが出来るかと聞くと、ディナーはまだなので何か飲みながら45分程待ってと言われました。また後で来るわと言って、他の店を覗くとどこもまだ料理は出していないようでした。つまり、食事を出すのは19時からの様です。仕方なくクリスマスマーケットを冷やかしたり写真を撮ったりして時間をつぶし、再度はじめのレストランに戻りました。まだ18時半くらいでしたが、席に案内してくれ飲み物を注文してメニューを見せてくれました。2プレートで前菜とメインかメインとデザートを選べるコースが24ユーロです。それぞれ前菜に、川魚のスモーク、エスカルゴ、オニオンスープ、メインはビーフシチューとチキンのクリームソースとパスタ、ビーフの串焼きを注文してみました。さあ、どんな物が出てくるのかどきどきです。

 父がエスカルゴを食べた記憶がないというのでまず挑戦して貰いました。私達は前回のフランス旅行で経験済みでしたから。貝を道具を使って挟むのが結構難しいのですが2個ほど上手く挟んで小さいフォークで身をほじくり出して食べていました。カーリックバターの味付けが濃厚で、パンも浸していくらでも食べられる感じです。私の注文したオニオンスープは熱々でとても美味しくて、こっちの方が父も気に入ったようで美味しいと沢山食べました。エスカルゴの残りは私のお腹に・・。連れ合いの魚のスモークは魚自体は美味しかったのですが、ジャガイモの量が半端ではなくタマネギと人参はほとんど生の状態で、でも連れ合いは殆ど平らげていましたよ。前菜でかなりお腹がふくれきたところにメインの登場です。


まず、「パスタってどんなんやろなぁ」「どうせ付け合わせにちょっと付いてくるだけちがう?大丈夫やよ」なんて会話をしていたのですが、出てくると一人前の平たいパスタのお皿の横に、チキンのクリーム煮のお椀、そして連れあいの前には大きな四角いお皿だけが置かれました。「・・・」どうやって食べるの・・きっと、パスタをお皿に移してクリーム煮を自分でかけて食べるのだろうと見当を付けて、連れ合いはいきなりパスタ全部をお皿に移しました。そして、大きいチキンの身とクリームソースを適当の混ぜながら・・そして「めちゃくちゃチキンがうまいで。柔らかいわぁぁ」感嘆の声が・・。もちろん私も横からいただきましたが、なるほど絶品でした。今回はクリームソースの神が連れ合いには降りてきています。





父の為に頼んだビーフシチューははっきり外れで肉はぼそぼそで硬く味付けも辛すぎて、すぐに私の方に回ってきました。ビーフの串焼きはまぁ食べられる料理でしたし、付け合わせのフレンチフライはうまく揚がっていていくらでも食べられました。しかし、一人前はどれも多かったです。父は1杯目のベルギービールが美味しくて3杯お代わりをし最後のはほとんど私が飲むことになったり、私は父のいらない物をせっせといただいた感じです。もちろんみんな満足のディナーになりましたよ。ちなみにお値段は118.8ユーロです。チップに10ユーロ置いてきました。あー、また借金が増えていく・・(>_<)

 父を部屋に送り届けると、またしても二人でお忍びの夜遊びに出かけました。といっても、飲み歩くわけではなく、夜の写真撮影です。しかし、風風風・・寒い!早々に引き上げましたけどね。熱いシャワーとボディソープはしっかり泡だって、なかなか良いホテルです。そうそう、レストランのボーイさんはとても男前でおしゃべりも楽しく、「この街はいつもこんなに風が強いの?」と聞くと、「今日は特別」と言っていました。でも、川岸の歪んで斜めに伸びている木々を見ると、やはり風の強い街なのだと思います。

 それと、この街にきて気がついたのですが、・・・クリスマスイルミネーションやライトアップは今や日本でも大流行でどこでも見られる光景になっています。モンサンミッシェルの帰りに寄った小さな村も街路や建物ににイルミネーションを飾り付けていました。クリスマスはもう済んだのにまだサンタの飾りもありました。このアヴィニヨンは、とても素晴らしい芸術的なイルミネーションを施してあり、目を楽しませてくれたのですが、これは夜が長いヨーロッパの人たちの楽しみ方の一つなのだなぁと改めて感じました。これはもう文化であり、暮らしなのですよね。



 広角ズームをカメラにつけて、標準ズームを持ってホテルを出る。とりあえず狙うは広場の上に張り巡らされたイルミネーション。
 右はホテル横の広場から駅前に向かうメイン通り。











 小さな町で、けして派手なイルミネーションでは無いが、きれいに、丁寧に飾られている。シャンゼリゼ通りのイルミネーションもきれいだが、私はこちらのイルミネーションの方が好きだ。
 この町では1泊だけなので、明日はいよいよマルセイユに向けて出発である。






前へ  次へ
 TOPへ