帰国前日


 明日の夜の便で帰国する為、今日はおみやげを探しに行く予定だ。それ程、急がなくてはならないわけでも無いので、昨夜作成したファイルをサイトにアップし、何通かのメールを出して、ついでにニュースサイト等を覗く。10時頃、リュックを担いで街に出た。昨日教えて貰ったルンビニは、サラデーン・コロネードからだと、シーロムの反対側に歩いて15分程だ。道ばたに出ている屋台で朝食代わりにパイナップルを買う。10バーツ。しかし、パイナップルがまるごとひとつ分じゃ無いかと思うくらい多い。食べながら、観光客があまりうろうろしない、生活臭あふれる通りをルンビニに向かって歩く。
 バンコクの道路でびっくりしたのが、歩行者用の信号が無いのだ。いや、信号機はあるのだが、使用していない。消えたままなのだ。歩行者は信号に関係なく、車の信号の合間を見て適当に渡る。片側3車線あるような道でもそんな感じだ。これはちょっと、怖い。何せ、走っている車には、歩行者に道を譲ろうなんて気はなさそうだから。

 ルンビニ駅について、周りを見るが、店なんか出ていない。エーッと思いながら周りを探す。民芸品やらなんやら一杯出ていると言っていたのに・・・・。5分程周りを歩いて気付いた。ナイトバザールだ。そう、昼間は開いていないのだ。タイの人は昼間に買い物をするという習慣が無いのだろうかとか思いながら、もう一つ教えて貰ったスクムビットに向かう。地下鉄で3つ目。地下鉄とBTSを使用すると、移動は実に簡単だ。でも、教えて貰ったソイ23には特にそれらしき店を見つける事は出来なかった。ここもナイトバザールなんだろうかと思い、ガイドブックを探す。そろそろ昼も近い事もあったので、伊勢丹のあるチェットロムに行く事にした。

 BTSでアソーク駅から乗って3つ目。時計を見るともうすぐ12時だ。ガイドブックの裏表紙に載っている、伊勢丹の6階にある「歌行燈」という店で昼食にしようと思っていた。
 6階に上がると、目的の店はすぐに見つかった。応対に出てくれたタイ人の女の子はそこそこ日本語をしゃべる。他の店員も、日本語で対応をしている。鍋焼きうどん定食を頼むと、「飲み物は?」と聞かれたので、水を頼む。大抵の店ではミネラルウォーターの入った瓶とコップが出てくるのに、このお店は水の入ったコップだけしか出てこなかった。定食を食べながら水が無くなったのでお代わりを頼む。食べ終わって少しゆっくりしていると、食器を下げに来た女の子が、水差しを持ってきて水を入れようとするので、「もういらない」と言って、チェックを頼む。伝票を見ると・・・水が付いていない。海外のレストランでは水を買うのがあたりまえだったので、ちょっとびっくりした。だから、さっきの女の子はいるかどうか聞かずに水を入れようとしたのだ。

 お腹がふくれた所で、おみやげ探しである。伊勢丹の中では思っているようなものは無さそうなので、一旦外に出てセントラルワールドプラザの方へ行くと、なにやら見覚えのある風景が。赤地にMKの文字が入った看板が出ている地下への入り口・・・ああ、ここかーっと、思い出した。
 体調が悪かったせいもあり、途中で興味が無くなっていたのであえて探さなかったが、バンコクに来たら、もう一つやろうと思っていた事があった。エスカレーターで地下に降りると右に回り込むと正面に見える。
 「SHIRO ENTERPRISES THAILAND」 射撃ツアーを開催している所だ。そう、一度、射撃を体験してみようと思っていた。

 オフィスに入ると、オーナーの日本人とタイ人の男性1人、女性1人がいた。ツアーの事を聞くと、後15分くらいでもう一人、日本人の人を案内するので、ご一緒でいいですか、との事。グッドタイミングである。申込書の記入をするが、パスポートナンバーを書く欄がある。保険に必要との事だが、今回に限って、パスポートは持っていない。どうしようかと思っていたが、ふと、サラデーン・コロネードにチェックインする時にパスポートナンバーを記入した事を思い出した。「ホテルに電話すればわかるかも知れません。」と言うと、「私たちが聞いても教えてくれませんので、電話を貸しますから、ご自分で聞いて貰えますか。」との事。とりあえず、電話番号を調べて貰う。オーナーが女性に「初めは電話をしてあげて。タイ語で説明してから電話を替わった方がいいだろう。」と言ってくれた。僕は(パスポートナンバーを教えて下さいって、どう言えばいいんだろう。)と内心、考えながら女性が電話をするのを見ていた。ふと、スイスのツェルマットで日本人女性が駅員さんに「時刻表を下さい。」と言っていた表現を思い出した。タイ人の女性が電話をこちらに差し出した。電話を受け取り、自分の名前と部屋番号を伝え、「キャン ユー ギブ ミー マイ パスポートナンバー?」と言うと、「Yes」と帰ってきて、「今、メモできますか?」と聞かれ、その後、パスポートナンバーを教えてくれた。

 時間が来るまでの間、ツアーの紹介が入ったファイルを見ていたが、その最初にオーナーがこのツアーを行っている主旨が書かれていた。帰国後、この旅行記を作成するのに、「旅行記の中に載せたいのですが、送って貰えませんか?」とメールを出すと、こころよく送ってくれた。以下、その文章である。


SHIRO ENTERPRISES THAILAND

会社紹介

SHIRO ENTERPRISES THAILANDは2000年10月にタイバンコクに設立され、代表志村の現役自衛隊時に築き上げたタイ国軍との関係により、タイ国軍専門日系ツアー会社として各種ミリタリーツアーを行なっています。

主旨

 1945 年の敗戦以降米国の占領政策を主として日本人の一般意識の中に間違ったおかしなものを植え込んでしまいました。特にミリタリー、軍、国防。
  例を上げると、「日本は経済だけでよい国防は必要ない」「ミリタリーは全部悪」「前の戦争は全部日本だけ悪い」「子供のおもちゃにミリタリーはいけない」。
 こんな不自然な認識を国の機関は改善を行う意思を持っているとは思えない。アメリカ幕府直轄領代官政府{日本政府}には無理は当然ですが。これらの啓蒙に少しでも寄与できるよう色々なミリタリーツアーを作っていきます。
 内容については「ミリタリーの専門家」として自信を持って満足できるものを企画していきます。具体的要望があればどんどんお知らせ下さい。

Copyright (C) 2002, SHIRO ENTERPRISES THAILAND, All right reserved.


 僕が射撃経験が全く無い事を確認すると、ピストルの持ち方や打ち方、注意事項の説明を受け、もう一人来られた日本人の男性とオーナー、もう一人のタイ人男性の4人でタクシーに乗り、陸軍の射撃場へと向かった。

 射撃場に着くと、すでにピストルが台の上に並べられ、インストラクターが待っていた。38口径のリボルバーと45口径のオートマチックだ。最初にインストラクターの人がコーラの缶、スイカともうひとつ(忘れちゃいました)の標的を撃って、その威力を見せてくれた。
 オーナーが砕けたスイカを手に持って説明してくれたが、その威力は僕が想像していた以上のものだった。
 弾丸のスピンするエネルギーが周りに伝わり、単純に金属の弾が当たっただけのものに比べて遙かに大きな破壊力が出るのだとか。例えば、コーラの缶が破裂したのだが、もし弾がスピンしていなかったら、単に穴が開くだけであり、スピンするエネルギーが中の液体に伝わり、缶を破裂させるのだと。人間の体は水分が60%である。こんな物が体の中を通り抜けたらと思うと、ぞっとする。

 机の前でまだ弾の入っていないピストルを持った時、モデルガンと違い、しっかりとした重さを感じたが、それだけだった。しかし、このデモを見た後、弾の入ったリボルバーを持たされた時、そのあまりの違いに正直、緊張した。さっき見た、あの威力を持った物が、今、自分の手の中にある。撃鉄を起こすのをためらっていると、インストラクターが撃鉄を起こすように教えてくれる。出る前に教えて貰ったように握っているか、左手の親指の位置は大丈夫か、等、ひとつひとつ確認すると、撃鉄を起こした。ねらいを定め、ゆっくり引き金を引いていく、が、実はこの時、すごい後悔が僕の胸の内を渦巻いていた。初めて手にするピストル。反動はたいしたことはないと説明は受けていたし、実際にインストラクターが撃っていたのを見ても、たいしたことはないのはわかっている。しかし、それでも怖かった。



 距離は10mくらいだろうか。ピストルを持った緊張の為、そんな事は全部、飛んでいた。ゆっくり引き金を引いていくと、突然、大きな音と共に弾が飛び出した。初めに持っていたイメージでは、引き金を引いているうちに引き金が重たくなり、そこからグッと引くと弾が出る、みないに思っていたが、実際は何の抵抗もなく撃鉄が落ちた。ショックといえば弾が出た反動だけだ。
 横に付いてくれているタイ人(日本語が話せる)が、「もっと左をねらって。」と教えてくれるが、実は、僕はこの位置からだと弾がどこにあたったのか、全く、見えていなかった。だから少しだけ左をねらい、引き金を引く。でも、やっぱり、「もっと左。」との事。
 6発を打ち終えると、そのままピストルをインストラクターに渡し、的を見に行く。







 6発撃って的を確認し、また次の6発を撃つ。多分、20発くらい撃ったんだと思うが、数えている余裕は無かった。
 初めに撃った6発は右の方で、だんだん、左に寄せて来ている。





 この後、45口径のオートマチックを使用し、弾をこめるところからしたが、スライドを引くのが怖く、おそるおそる引くと、弾が引っかかってしまった。素早くスライドをさせないといけないらしい。まあ、何かトラブルがあればそのままインストラクターに渡せばいいので、危険は無いのだと思うが、弾倉を全部撃って、入れ替えた後の1発目は、とにかく怖かった。銃を撃つ、という事に、忍耐がいるという事を初めて知った。

 撃ち終わった後の僕の的をみたオーナーの話では、ワンセットで撃った弾が、比較的まとまっているので、初めてにしては良い方らしい。

 この後、もう一人の日本人の男性は、ライフル射撃を行った。オーナーが「ライフルは衝撃波が来ますから、ピストルとは違いますよ。」と教えてくれた。射撃音が響くのと同じく、体にバン、といったイメージの衝撃波を感じる。詳しい事は知らないが、ピストルの初速は音速以下で、ライフルは音速以上なんだろうなと思った。

 終わってからもオーナーはいろいろな事を教えてくれた。映画で車のドアや屋内の壁に隠れて打ち合うシーンがあるが、車のドアやコンクリートでない家の構造材等は何の役にも立たず、それごと打ち抜かれるとの事。映画でやドラマでみるピストルのイメージと、実際に手に持ったピストルのイメージは、あまりにもかけ離れていた。

 帰りに陸軍のやっているスーパーにより、タクシーでセントラルワールドプラザのオフィスに帰る。オーナーも気安い方で、この後、オフィスで色々な話で盛り上がり、気が付けば2時間程も過ぎていた。
 しかし、ここのオフィスで感心したのは、タイ人同士も僕達の前(オーナーの前かも知れないが)では必ず日本語で話をする事である。タイ語のやりとりが無い。だから、何をしゃべっているのかがわかるので、安心出来た。
 楽しいおしゃべりの時間を過ごした後、教えて貰った道路のはす向かいにあるナライパンに行く。タイの民芸品を売っている所だ。地下に入ったが、中はさながらナイトバザールの店の集まりである。うろうろしていると、自分がどこにいるやらわからなくなり、出口を見つけるのに同じ所を何度も通り過ぎた。
 1階、2階、3階と一回り周り、キーホルダーやスカーフ等を買う。その後、そこから少し北にある大きなスーパーに行き、タイのインスタントラーメン、カップラーメンを買った。さてさて、どんな味がする事やら。

 外も暗くなって来たので、BTSに乗り、アソーク駅へと移動する。アソーク駅は地下鉄のスクムビット駅との乗り換え駅だ。降りるとソイ23へと歩いていく。昼間に来た時に、広場があったので、そこに屋台が建つのかなと思って行ってみると・・・入り口に女の子が立っていて、僕の腕を取り、声をかけてくる。どうやら、ビアガーデンのようなものらしい。当てが外れた僕は、ルンピニに行くべく、スクムビット駅へと向かう。
 実はソイ23からスクムビット駅への道で、一番近いのは「ソイ・カウボーイ」と呼ばれる路地を通り抜けるルートだ。タイでは有名な所なので、特に解説はいらないだろうが、「ゴーゴーバー」と呼ばれる、カウンターの上で水着姿の女の子が踊っている、風俗店だ。まあ、もう少し南の道まで行ってもそれ程遠回りでは無いけど・・と思いながらソイの入口まで来ると、白人の男性が2人、ソイの中に入っていく。まあいいかと思い、僕もソイの中を通り抜ける事にした。まだナイトライフというには時間が早いおかげで、それ程激しい客引きがあるわけでも無いが、それでも前を歩く欧米人の股間に手を伸ばし、嬉しそうにしている男性を店の中に引っ張り込もうと何人もの女の子が群がる。で、僕はというと・・・一人、腕を組んできて「寄っていって〜」と言った女の子はいたが、その他の店の子は前を歩いていても仲間同士、話をしているだけで、寄ってこない。お金を持っているかどうか、見分けているんだろうか。だとしたら、かなり確かな目をお持ちのようだ。(^^ゞ

 ルンピニ駅につき、3番出口を上がる。ナイトバザールはと思うと・・・・



 出口の右側にこんな看板が・・・。迷う事は無かった。









 ぶれてますが、ナイトバザールの真ん中の通りです。両側の建物に、た〜っくさんのお店が入っています。北側ではムエンタイの試合場もあります。









 途中で見つけたお店。日本語で「名前」と書いてあります。奥の方に「もち米に名前・・」と書いてあるのがわかるでしょうか。そう、タイのもち米に名前を書いて、キーホルダーを作ってくれます。ひとつ、159バーツ。家族の分全部で3つ、頼みました。








 驚いたのは、10代後半か、せいぜい、20歳を過ぎたところくらいの女の子がもち米に書いてくれる事です。もっと年を取ったベテランの職人が書くんだとばかり思っていましたから。
 粘土に固定して書きます。もち米の表と裏に書くので、姓名とも書けます。但し、日本語は無理だと思いますが・・・。
 3つで477バーツなので、100バーツ札4枚と20バーツ札4枚を渡すと、おつりを探し回って、横にいた女の子にも聞いていましたが、無かったようで、「ディスカウント」とかいいながら20バーツ札を一枚、返してきました。3バーツが無い為に17バーツ、まけてくれた事になります。









 一回り見て回り、ムエンタイのトランクスをひとつ買った。電卓で350と打ってきたのを黙って200に打ち変える。少し困ったような顔をしてちょっと考えた後、250と打って、片手で拝むように差し出すと、こっちの返事も聞かずにさっさと商品を包み始めた。まあ、所詮観光客である。相場はよくわからん。(^^;

 時間も遅くなってきたので、サラデーン・コロネードに帰る事にしたが、夕食をまだ食べていない。シーロム駅を上がった所にマクドナルドがある事を思い出し、最後の夜でもあるので、一駅、歩く事にした。しかし、ルンピニ公園側は避け、ラマ4世通りの南側の歩道を歩いていった。マクドナルドでテイクアウトすると、部屋に帰り、腹ごしらえをする。一休みすると、荷物の整理をしてシャワーを浴びると、タイで最後のベッドに入った。








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